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東京を歩くと、目に飛び込んでくる、世界中のブランドのショーウィンドウ。

パリ、ミラノ、ニューヨーク、それぞれの街と文化が生み出したラグジュアリーが、銀座や青山、表参道の街並みに溶け込み、それはまるで、この国の文化そのものを覆い尽くしてしまったかのようにさえ見えます。


多くの海外ブランドが日本の伝統工芸とのコラボレーションを発表し、市場の波に消えていきます。 それらのほとんどは一過性の試みでしかなく、文化として根付くことはありません。

日本の文化は、どこでどのように輝いているのだろう? 百貨店の上層階で開催される催事の中に?それとも、観光客向けの土産物屋の工芸品の棚の中? 日本の美意識が、現代のラグジュアリーとして定着する事は、果たしてないのでしょうか。


日本の伝統工芸は、本来、単なる装飾ではありません。

歴史の中で磨かれ、生活の一部として存在し続けた、美意識の結晶です。


しかし、時として「異国情緒」というラベルを貼られることで、その本質から遠ざけられてしまうこともあります。

だからこそ、本当に必要なのは、日本の伝統工芸そのものが、世界における「ラグジュアリー」として確立されることなのです。


伝統工芸が廃れていくのは、決して時代の流れだけが原因ではありません。

それを生業とする人々自身も、変わる必要があると感じ始めています。

ある職人が私に言いました。

『衰退の理由は、私たちにもあるのだ』と。


それはとても重い言葉でした。

しかし、同時に、未来を変える力を秘めた、強い決意が込められた言葉でもありました。

時代が変わるなら、私たちもまた、伝統の価値を新たな形で伝えていかなければならない。

そして、それを実行しようとしている職人たちもいるのです。


変わることは、決して本質を失うことではありません。

真に価値のあるものを知り、それを慈しみ、長く愛用すること。


私は、日本の街に日本の美しいものが並ぶ光景を、特別なものではなく「当たり前」にしたいのです。

一瞬のトレンドで忘れ去られる使い捨ての消費社会とは対極にあるもの、

時間を超えて輝き続け、時を重ねるごとに美しさは深まり、修理しながらでも使い続ける価値。

そこに宿る美意識こそがラグジュアリーであり、伝統工芸の本質なのです。


私は、それを形にして見せたいのです。


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